万葉百名山
初めに
「万葉集の花」は人気がありますが、「万葉集の山」を旅する人も多いようです。しかし、多くの人にとっては、眺めるだけだったり、まして百名山と結び付けられることは少ないのではないでしょうか。
しかし、山を愛する気持ちは、万葉のころも、今も変わらないので、万葉を偲んで、現代の百名山のように、山を知り、眺め、登るのは楽しいと思います。万葉人の山の大半は、近くの神奈備山や、山越えの道で、従って、高齢者が楽しむのに最適という特長もあります。富士、立山、白山などの高山は、雪を被った山の遠望が主立ったようです。

候補

よみ
同定
標高
所在
歌の数
作者
1
阿可見山
あかみやま
赤見山
栃木県佐野市赤見町の山
1
14-3479
阿可見山 草根刈り除け 逢うはすがへ 争ふ妹し あやにかなしも
2
安伎奈の山
あきなのやま
神奈川県足柄山中の山
1
14-3431
足柄の 安伎奈の山に 引こ舟の 後引かしもよ ここば児が為に
3
網児の山
あごのやま
三重県志摩郡英虞の地の山
1
4-662
網児の山 五百重隠せる 佐堤の崎 さて延へし子が 夢にし見ゆる
あご   やま  いほへかく     さて  さき   は    こ   いめ  み
4
安積香山
あさかやま
額取山
1009
福島県
1
16/3807
安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに
5
阿自久麻山
あじくまやま
子飼山
茨城県
1
14-3572
あど思へか 阿自久麻山の ゆづるはの 含まる時に 風吹かずかも
6
足柄山
あしがらやま
箱根山
1438
神奈川・静岡
2
3-391
とぶさ立て 足柄山に 舟木伐り 木に伐り行きつ あたら舟木を
7
葦穂山
あしほやま
足尾山
628
茨城県
1
14-3391
筑波嶺に そがひに見ゆる 葦穂山 悪しかるとがも さね見えなくに
8
安蘇山
あそやま
朝岡山
群馬県と栃木県境の安蘇郡の山という説
群馬県富岡市一宮
1
14-3434
上野  安蘇山つづら 野を広み 延ひにそものを あぜか絶えせむ
かみつけの あそやま     の  ひろ  は              た
9
安達太良
あだたら
安達太良山
1700
3
14-3428
安達太良の 嶺に伏す鹿猪の ありつつも 我に至らむ 寝処な去りそね
10
安波嶺
あはを
千葉県安房の山
福島県安達郡
1
14-3501
あはをろの をろ田に生はる たはみづら 引かばぬるぬる 我を言な絶え
11
会津嶺
あひづね
磐梯山
1819
1
14-3426
会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね
12
安保山
あほやま
三重県青山町の青山峠
奈良市法蓮町の不退寺付近という説
1
10-1867
安保山の 桜の花は 今日もかも 散りまがふらむ 見る人なしに
13
愛発山
あらちやま
滋賀県高島郡と福井県敦賀の境の山
1
10-2331
八田の野の 浅茅色付く 愛発山 峰の沫雪 寒く 降るらし
14
伊香保の嶺
いかほね
榛名山
群馬県
2
14-3423
上毛野 伊香保の嶺ろに 降ろ雪の行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり
15
生駒山
いこまやま
生駒山
3589
夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り
16
伊豆の高嶺
いずのたかね
天城山?
1406
1
14-3358或本
まかなしみ 寝らくしけらく さ鳴らくは 伊豆の高嶺の 鳴沢なすよ  
ぬ         な     いず   たかね  なるさわ
17
石辺山
いそへのやま
磯部山
滋賀県石部町
1
11-2444
白真弓 石辺の山の 常磐なる 命なれやも 恋ひつつ居らむ
18
妹背山
19
伊予の高値
石鎚山
1982
愛媛県
1
3-322
20
伊夜彦
いやひこ
弥彦山
新潟
2
16-3884
弥彦  神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらむ  裘着て 角つきながら
いやひこ  かみ ふもと きょう     しか  ふ     かはごろもき つの
21
磐城山
いわきやま
薩タ峠
1
12-3195
磐城山 直越え来ませ 磯崎の 許奴美の浜に 我立ちまたむ
いわきやま ただこ  き    いそさき  こぬみ    はま   われた
22
碓氷の山 
うすひのやま
碓氷峠
群馬県
1
14-3402
23
畝傍山
うねびやま
畝傍山
1335
24
宇麻具多の嶺
うまぐたのね
千葉県君津郡、木更津市の山
千葉県
2
14-3382
望多の 嶺ろの笹葉の 露霜の 濡れて我来なば 汝は恋ふばそも 
25
宇良野の山
うらののやま
長野県上田市浦野の山
1
14-3565
かの児ろと 寝すやなりなむ はだすすき 宇良野の山
26
大島の嶺
のね
91
妹が家も鮭きて見ましを 大和なる大島の嶺(ね)に家もあらましを
27
奥十山
オキソ山
岐阜県木曾の山
1
13−3242
百きね 美濃の国の 岳北の 泳の宮に  東に 行くなき関を ありとききて 吾が 通ふ道の おきそ山 美濃の山 人は踏めども かく寄れと 人は突けども靡けと  心無き山の おきそ山 美濃の山
28
忍坂の山
おさかのやま
29
香具山
かぐやま
香具山
28
持統天皇
春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山
30
可鶏山
かけやま
神奈川県足柄山中の山
1
14-3432
足柄の 我を可鶏山のかづの木の 我をかづさねも かづさかずとも
31
春日の山
32
神丘
159
やすみしし わごおおきみ−−神丘
33
可也の山
かやのやま
可也山
福岡県
1
15-3674
草枕  旅の苦しみ 恋ひ居れば 可也の山辺に さ雄鹿鳴くも
34
象山
きさやま
吉野
35
吉志美が岳
肥前風土記
36
朽網山
くたみやま
久住山
1788
大分県
1
11-2674
朽網山  夕居る雲の 薄れ去なば 我は恋ひむな 君が目を欲り
37
久路保の嶺
くろほのね
赤城山黒穂岳
1828
群馬県
1
14-3412
上野  くろほの嶺ろの 葛葉がた かなしけ児らに いや離り来も
38
小倉の山
8-1511
夕されば 小倉の山に鳴く鹿は 今夜は鳴かず い寝にけらしも   
39
巨勢山
こせやま
五四
春日蔵首老
40
故奈の白嶺
こなのしらね
日光白根山?
2578
群馬・栃木
1
14-3478
遠しとふ 故奈の白嶺に 逢ほしだも 逢はのへしだも 汝にこそ寄され
越の白山・立山、草津白根山という説
41
子持山
こもちやま
子持山
1296
群馬県
1
42
相模嶺
さがむね
大山
1246
神奈川県
1
43
狭野山
さのやま
群馬県高崎市?
群馬県
1
14-3473
狭野山に 打つや斧音の 遠かども 寝もとか児ろが 面に見えつる
茨城県筑波郡の佐野、久慈郡の佐野などの説もある。
,,,
44
塩津山
しおつやま
滋賀・福井
2
3-365
笠朝臣金村
塩津山 打ち越え行けば 我が乗れる 馬そつまづく 家恋ふらしも
45
白月山
しらつきやま
岡山県後月(しつき)郡の山
1
12-3073
木綿づつみ 白月山の さなかづら 後も必ず 逢はむとそ思ふ
46
白山
47
須加の山
すかのやま
富山県射水郡
1
17-4015
心には 緩ふことなく 須加の山 すかなくのみや 恋ひ渡りなむ
48
高島山
49
高千穂の岳
たかちほのたけ
高千穂峰
1574
宮崎
1
20-4465
ひさかたの 天の門開き 高千穂の 岳に天降りし 皇祖の ・ ・ ・ ・ (長歌)
50
高角山
たかつのやま
巻2・132反
柿本朝臣人麿
51
高円山
52
多胡の嶺
たごのね
群馬県多野郡吉井町南部の山
1
14−3411
多胡の嶺に 寄せ綱延へて 寄すれども あにくやしづし その顔良きに
53
立山
たちやま
立山
3015
3
17-4001
立山に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし
54
龍田山
たつたやま
877
ひともねのうらぶれ居るに龍田山御馬近づかば忘らしなむか
55
多摩の横山
たまのよこやま
多摩丘陵
1
20-4417
宇治部黒女
赤駒を 山野にはかし 取りかにて 多摩の横山 徒歩ゆか遣らむ  
56
多武の山
#飛鳥資料館
1704
ふさ手折タオり 多武タムの山きり
57
筑波山
つくばね
筑波山
24
1757反歌
ウラワなし
筑波嶺の よけくを見れば 長き日(け)に 思ひ積み来し 憂へは止みぬ
58
鳥籠の山
とこのやま
鳥籠山
滋賀県彦根市
2
4-487
近江道の 鳥籠の山なる 不知哉川 日のころごろは 恋ひつつもあらむ
59
礪波山
となみやま
富山県小矢部市石動町の山
2
19-4177
我が背子と 手携はりて ・ ・ ・ ・ 礪波山 飛び越え行きて・ ・ ・ ・ ・ (長歌)
60
名草山
なぐさやま
名草山
229
和歌山県和歌山市
1
7-1213
名草山 言にしありけり 我が恋ふる 千重の一重も 慰めなくに
61
名欲山
直入山のことか
直入地方(大分県)
62
連倉山
なみくらやま
琵琶湖西岸楽浪(ささなみ)の地の山
滋賀県
1
7-1170
楽浪の 連庫山に 雲居れば 雨そ降るちふ 帰り来我が背
63
奈良山
1585
奈良山の 嶺の黄葉(もみぢば) 取れば散る しぐれの雨の 間なく 降るらし
64
新田山
にひたやま
群馬県太田市の北にそびえる金山
223
2
しらとほふ 小新田山の 毛流山の うらがれせなな 常葉にもがも
65
後瀬の山
のちせのやま
福井県小浜市南方の山
2
4-739
かにかくに 人は言ふとも 若狭道の 後瀬の山の 後も逢はむ君
66
箱根
はこね
箱根山
1438
神奈川県
3
7-1175
足柄の 箱根飛び越え 行く鶴の ともしき見れば 大和し思ほゆ
67
波多の横山
はたのよこやま
三重県一志町の丘陵
1
1-22題
十市皇女
河上の ゆつ岩群に 草生さず 常にもがな 常娘子にて
かはのへ    いはむら  くさむ    つね      とこをとめ
十市皇女、伊勢の神宮に参い赴く時に、波多の横山の巌を見て、ふふきの刀自の作る歌
68
はつせのやま(泊瀬の山) 
はつせのやま(泊瀬の山) 
69
比良山
ひらやま
比良山
1214
滋賀県
1
9-1715
楽浪の 比良山風の 海吹けば 釣する海女の 袖反る見ゆ
70
富士山
ふじ
富士山
3776
静岡・山梨
11
3-318
田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける
71
二上山
ふたかみやま
二上山
雌岳(標高474メートル)と雄岳(標高540メートル
165
うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我が見む
72
二上山
ふたかみやま
二上山
富山県高岡市と氷見市の境
富山
11
大伴家持
73
不破山
ふはやま
岐阜県不破郡の山
1
2-199
かけまくも ゆゆしきかも ・ ・ ・ ・真木立つ 不破山越えて・ ・ ・ (長歌)
74
真土峠
真土山そのものは海抜100mほどの低山
奈良県五條市と和歌山県橋本市の県境
75
御笠の山
三笠山
奈良
76
陸奥山
みちのくやま
小田なる山
宮城県涌谷町の山
2
18-4097
天皇の 御世栄えむと 東なる 陸奥山に 金花咲く
77
美濃の山
みののやま
岐阜県南部の山
岐阜県
1
13-3242
ももきね 三野の国の 高北の・ ・ ・ 我が行く道の 奥十山 三野の山 なびけと 人は踏めども
78
耳成山
みみなしやま
耳成山
139メートル
奈良
3788
耳成の池し恨めし我妹子が来つつ潜かば水は涸れなむ
79
三毳山
みかもやま
三毳山
229メートル
関東平野の北端・栃木県佐野市郊外にこんもり盛り上がった丘陵
1
14-3424
よみひとしらず
下野  三毳の山の こ楢のす まぐはし児ろは 誰がけか持たむ
しもつけの みかも やま    なら        こ     た     も
80
南淵山
#飛鳥資料館
2206
真澄鏡まそかがみ 南淵山は
81
三諸山
みもろの山
雷岳
82
三輪山
みわやま
三輪山
18
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや
83
武蔵嶺
むざしね
武甲山
1
埼玉県
武蔵地方の山という説もあります
14-3362
武蔵嶺の 小峰見隠し 忘れ行く 君が名かけて 我を音し泣くる
84
矢釣山
#飛鳥資料館
261,262
85
屋上の山
やがみのやま
室神山
島根県江津市浅利
1
2-135
つのさはふ 石見の海の ・ ・ ・ ・ 大舟の 渡りの山の もみち葉の 散りのまがひに 妹が袖 さやにもみえず 妻ごもる 屋上の山の 雲間より(長歌)
86
結石山
ゆふしやま
結石山
長崎県対馬町
3-810題
 いかにあらむ 日の時にかも 音知らむ 人の膝の上 我が枕かむ
梧桐の日本琴一面 対馬の結石山の孫枝なり
87
木綿の山
ゆふのやま
由布岳
1584
大分県別府市
2
10-2341
思ひ出づる 時はすべなみ 豊国の 木綿山雪の 消ぬべく思ほゆ
88
吉野の山
よしののやま
奈良県吉野町の山
奈良県吉野町の山 
4
16-3839
我が背子が たふさきにする 円石の 吉野の山に 氷魚を懸れる
わ  せこ             つぶれいし   よしの やま    ひを  さが
89
渡の山
わたりのやま
島根県江津市渡津町の山
1
2-135
つのさはふ 石見の海の ・ ・ ・ ・ 大舟の 渡の山の もみち葉の 散りのまがひに 妹が袖 さやにもみえず 
90
小田なる山
をだなるやま
宮城県涌谷町の山
陸奥山
1
18-4094
葦原の・ ・ ・ ・陸奥の小田なる山に 金ありと・ ・ ・ ・ (長歌)
91
乎那の峰
をなのを
静岡県三ケ日町の山
1
14-3448
花散らふ この向つ峰の 乎那の峰の ひじに付くまで
はなぢ      むか を   をな  を       つ

2010.2.1

*印を付けた山は万葉集、山を読んだ歌から転載させていただきました。
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/nature/mountain/home.html



安積香山(あさかやま)
木簡の安積山の歌は万葉集の歌か」から転載させていただきました。
http://www.geocities.jp/yasuko8787/80523.htm
「安積山」は、白河の関や阿武隈川、信夫、安達原などとともに福島県にある著名な歌枕
原文 安積香山 影副所見 山井之 淺心乎 吾念莫國
訓読 安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに   (16/3807)
仮名 あさかやま かげさへみゆる やまのゐの あさきこころを わがおもはなくに

足柄峠
南足柄市 足柄万葉公園」から転載させていただきました。
http://www.city.minamiashigara.kanagawa.jp/kankou/spot/manyou_kouen.html
 ここ足柄峠は、奈良・平安の時代には東国と西国とを結ぶ官道(足柄道)であり、東海道の交通の要所でもありました。当時、東国から西日本の防備のために赴いた防人が、足柄山や足柄地方を詠んだ歌が万葉集の中に多いことでも知られています。また、峠の足柄城址から見る富士山は、長い尾をひく裾野から雪をかぶった頂上まで手に取るように大きく壮大です。
園内は「歴史散策、自然の景勝、万葉集を味わう」の三区分からなっており、万葉集に出てくる足柄ゆかりの歌を刻んだ石碑(根府川石)と、歌に出てくるネズ、エゴノキ、アセビ等約90種の植物などが植栽してあります。




伊香保の嶺(−榛名山)
伊香保万葉東歌の世界」から転載させていただきました
http://kamituke.hp.infoseek.co.jp/page047.html
 今は榛名山と呼ばれてる「伊香保」の地名は、万葉集の記録からはじまりますが、地名の由来は、‘いかめしい峰
(ほ)’‘湯川(ゆかわ)の転訛。アイヌ語の‘イカ・ボップ’(山越えのたぎり立つ湯)。雷(いかずち)のイカで‘雷の山’
‘いかずちの峰’から、などの諸説があります。



現在、伊香保を詠んだ万葉歌碑は伊香保温泉中心にありますが、このような万葉時代の伊香保の意味からも、歌
で詠まれている地域は、榛名山の見える広域が対象になっているといえるので、もっと広い地域でこの歴史遺産を
守り育てたいものです。


上毛野伊香保の嶺ろに降ろ雪の行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり
(巻14-3423)


可美都気努 伊可抱乃祢呂尓 布路与伎能 遊吉須宜可堤奴 伊毛賀伊敝乃安多里


万葉集: 生駒山(いこまやま)*

奈良県生駒市にある標高642mの山。奈良盆地の西にあるこの山は、旅人がそして難波津から遣唐使たちが大和を懐かしく思って眺めた山です。

1047: やすみしし我が大君の高敷かす大和の国は............(長歌)

1428: おしてる難波を過ぎてうち靡く草香の山を............(長歌)

2201: 妹がりと馬に鞍置きて生駒山うち越え来れば黄葉散りつつ

3032: 君があたり見つつも居らむ生駒山雲なたなびき雨は降るとも

3589: 夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り

3590: 妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る

4380: 難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲ぞたなびく

妹背山
トップペ−ジ万葉の歌枕妹山・背山へ                    sub妹背山にこだわってへ
http://www.kit.hi-ho.ne.jp/akaneya-tetsu/kodawari.html
妹背山にこだわって
一般にはかつらぎ町背の山地区の「背の山」と紀の川、船岡山をはさんで南岸の通称「長者屋敷」を「妹山」と説明するのが定説のようです。実際、紀の川にかかる大門口橋の中央から、新大門口橋では南橋詰あたりから見ると川をはさんだ型の「妹背山」の風景が見えます。


万葉集の故地とは万葉集の歌に詠まれているからで 現に妹背山を詠んだ短歌は十四首、長歌一首があります一ケ所が十五首も詠まれているのは関東の筑波山についで二番目に多いものです。
背の山に直に向へる妹の山ことゆるせやも打橋わたす
にしても背の山にじかに向きあっている妹山というのが納得出来ます。打橋とは簡単な橋のことですからこのふたこぶの間へなら容易にかけることが出来ます。
 我妹子にわが恋行けば羨しくも並びゐるかも妹と背の山
吾妹子を恋つつゆくと妹と背の山はむつまじく並んでいる姿は、川をはさんで向ひ会っている形には無理があります。
 紀路にこそ妹山ありといへみくしげの二上山も妹こそありけれ
河内の二上山は大きなふたこぶ山ですがその二上山と比べている事にも通じます.
 大穴道少御神の作らしし妹背の山を見らくるよしも
国造りの大穴道少御神はなんと可愛らしいふたこぶの妹背の山を作られたのでしょう。 造型の技に驚嘆しているのですから、ふたこぶ山の方が特殊で希少性があります。
 人ならば母の最愛子ぞあさもよし紀の川の辺の妹と背の山
紀の川のほとりに、仲よく並んでいる妹山と背の山、低丘で小さな兄妹が手をつないでいる姿、可愛くて人ならば母親の最愛の子供のように見えます。
 後れゐて恋ひつつあらずば紀の国の妹背の山にあらましものを
後に残されて恋ひながらいるよりはいっそ紀の国の妹背の山のように一緒にいたいものだ。
 麻衣着ればなつかし紀の国の妹背の山に麻蒔く我妹
はっきりと妹背の山で麻を蒔くと具体的を詠っています。
尚長歌の
 紀の国の浜に寄るとふ鮑玉拾はむといひて妹の山背の山越えて行きし君・・・・。
 素朴で感動的な万葉人が妹山背山越えてと歌ったわけですが、これも説明出来ます。


畝傍山(うねびやま)*
香具山・耳成山と並んで、大和三山の一つです。橿原市畝傍町にあり、高さは199メートルです。

0013: 香具山は畝傍を雄々しと耳成と相争ひき.......(長歌)

0029: 玉たすき畝傍の山の橿原のひじりの御代ゆ.......(長歌)

0052: やすみしし我ご大君高照らす日の皇子荒栲の.......(長歌)

0207: 天飛ぶや軽の道は我妹子が里にしあれば.......(長歌)

0543: 大君の行幸のまにまもののふの八十伴の男と.......(長歌)

1335: 思ひあまりいたもすべなみ玉たすき畝傍の山に我れ標結ひつ

4465: 久方の天の門開き高千穂の岳に天降りし.......(長歌)



奥十(オキソ)山
中村憲雄さんの奥十(オキソ)山の歌について」から転載させていただきました。
http://www.scn.tv/user/shigakazin/gamou_kikou_2.htm

  百きね 美濃の国の 岳北の 泳の宮に
  東に 行くなき関を ありとききて 吾が
  通ふ道の おきそ山 美濃の山 靡けと
  人は踏めども かく寄れと 人は突けども
  心無き山の おきそ山 美濃の山(万葉集巻13−3242)

この「岳北の 泳の宮」を青南集の「美濃懐旧懐古」では「南宮の山を南にくくる清水まこと岳北の泳の宮ぞ」と具体的に歌われている。私注では、この地を不破郡国府付近とされている。先生はこの地に実地に立ってそう確信されたわけであるが、「くくる」の意味はどう解釈したらよいか。一般的に「総括する、まとめる」ととってみると主語は「清水」だからここが宮址と先生は解釈されたのだろうか。

 次に「おきそ山」については「ミヌノヤマ後世ミノヤマ、ミノノツヤマ、ミノノナカヤマと呼ばれた所で、広くは、近江美濃間の山と見るべきであらう。従ってオキソヤマも其処に近接する伊吹山のつながりと見てよい。 (巻5−799)のオキソカゼはイブキノカゼと同じ意であらうから、オキソ、イブキは同名と見える」(私注)とある。候補地として、岐阜県可児市の浅間山、同多治見市の高社山が挙げられ、伊吹山は三番目である。(万葉集事典、中西進)文明先生は、この通説を否定されて思い切った伊吹山説を想定されたわけだが、これも実地から来ていよう。この考証から、次の作が誕生し たわけである。

  イブキ山即ちオキソ山なれば美濃の伊吹の村も親しく 「美濃懐旧懐古」



 この解釈は「歌にあるオキソ山は伊吹山と定められる。だから、その山麓にある伊吹という村が親しく感じられる。伊吹は近江ということは誰も疑わないのに、ここ美濃に伊吹という村がある。ここの山麓も大きく言えばオキソ山イブキ山なのだ。だから伊吹という村がある。わたしの解釈に間違いがなかった」となる。



斎木崇人さんの 日本の多様な住まいとその集合から転載させていただきました
http://www.kobe-du.ac.jp/env/saiki/ro04/ro4n2e/ro4n2e.html
妹が家も鮭きて見ましを 大和なる大島の嶺(ね)に家もあらましを(万葉集91)
奈良山の 嶺の黄葉(もみぢば) 取れば散る しぐれの雨の 間なく 降るらし(万葉集1585)

高松のこの嶺も狭(せ)に 笠立てて満ち盛りたる秋の香のよさ(万葉集2233)                  

高山の 尉子くししの 友を多み 袖(そで)降らず来ぬ 忘れると思ふな(万葉集2493)  

おさかのやま(忍坂の山)

枕詞から転載させていただきました。
http://waka.or.tv/bunpo/makurak.html

おさかのやま(忍坂の山) あをはたの(青旗の) 青旗の忍坂の山は(万葉集3331) かすが(春日) あさひさす(朝日さす) 朝日さす春日の山に霞たなびく(万葉集1844)
きしみ(吉志美) あられふり(霰降り) 霰降り吉志美が嶽をさがしみと(万葉集385)
つしま(対馬) ありねよし(在り峰よし) 在り峰よし対馬の渡り(万葉集62)
はつせのやま(泊瀬の山) あまをぶね(海人小舟) 海人小舟泊瀬の山に(万葉集2347)
むかひ(向ひ) あさづくひ(朝づく日) 朝づく日向ひの山に月立てり見ゆ(万葉集1294)
よ あづさゆみ(梓弓) 梓弓欲良の山辺の(万葉集3489)
を(峰) あしびきの あしひきの峰の上の桜(万葉集4151)


象山きさやま

吉野町 吉野歴史資料館 資料館周辺のご案内」 から転載させていただきました。
http://www.town.yoshino.nara.jp/shiryoukan/syuhen/syuhen.htm
資料館の正面に見える山が『万葉集』にうたわれた象山と三船山です。左手の木製ベンチの辺りから真南をむくと、この二つの山の間から青根ケ峯の美しい山容を見ていただくことができます。これらの風景は万葉の時代から変わることなく、吉野の代表的な風景となっています。
昔は象谷と書いて「きさだに」と読んでいました。「象」と書いて「きさ」と読むのは万葉の時代からの伝統で、この頃は、象牙の模様からギザギザと曲がりくねった様子を「象」の文字であらわし、「きさ」と読んでいました。日本の地名の中ではとても珍しい地名の一つです。
喜佐谷

小倉の山」から転載されていただきました。
http://www.eonet.ne.jp/~komoriku/uta16.html
「小倉の山」は奈良県桜井市近辺の山らしいですが、諸説あり具体的にどの山のことを指しているのか分かりません。
夕されば 小倉の山に鳴く鹿は 今夜は鳴かず い寝にけらしも       『万葉集』巻8−151

巨勢山(こせやま)
万葉の花つばき」から転載させていただきました。
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/manyo-tsubaki.htm
1.巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
 巨勢山(こせやま)の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲ばな 巨勢の春野を
巻一 五四 坂門人足

2.河上乃 列々椿 都良々々尓 雖見安可受 巨勢能春野者
 河上の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢の春野は
巻一 五六 春日蔵首老

 第一の歌は、「今は花のない巨勢山の椿をじっくりと見ながら、花の盛りの巨勢野の春の美しさを偲んでみよう」、第二は、「川辺に咲く椿をいくら見ても飽かないほど巨勢野の春は美しいものだ」と、野生ツバキが当時から美しい草木と認識されていたことが偲ばれる。「つらつら」は現在でも使われる言葉だが、「ツバキ」を引き出す言葉としてもこの2首で用いられている。また、いずれの歌も初二句は「つらつらに」の序詞である。巨勢路は藤原京から紀伊へ行くとき、必ず通る古道で、能登瀬川に沿っている。第二の歌の「河上の」は能登瀬川のことをいう。巨勢山は御所市古瀬(近鉄吉野線吉野口駅周辺)にある標高295メートルの小さな山である。


子持山
子持山」から転載させていただきました。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/ogi-kwr/2005_F/komochi01.html
子持山(1296m)は万葉集の恋の歌にも詠まれている。群馬県のほぼ中央にある子持村、その北辺にあるのが子持山。那須火山帯に属す古い火山である。渋川伊香保ICから見ると、ほぼ真北にある独立した山塊なので容易に見分けがつく。さらに、西に辿ると榛名山、北東には赤城山が屹立する。
「子持山若楓の紅葉まで寝もと吾は思う汝はあどか思ふ」
                               作者不詳




高島山
万葉の旅 高島山」から転載させていただきました。
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/manyoukochi/siga/takasima.html
藤井五郎先生の著書『淡海万葉の世界』から抜粋

現在、「高島山」と呼ぶ山はないので、どの山をいうのか明らかでないが、

先に仮定(下に記す)したように「夜中」は「三尾」をいっているとすれば、湖からも陸路からも近いところにある山ということになり、

高島平野の南限にある嶽山を主峰として水尾崎(明神崎)で湖に入る連山を高島山と考えるよりほかない。

滋賀県高島市

旅ならば 夜中をさして 照る月の 高島山に 隠らく惜しも  巻9−1691


高円山
www2.odn.ne.jp/cbm54970/29takamatoyama.html -キャッシュ

多胡の嶺
万葉集の山、多胡の嶺」より転載させていただきました。
http://www.h4.dion.ne.jp/~suzumasa/kantou7.html
牛伏山  展望台より山頂を(2003.04.26.水彩)
右遠方には「浅間山」が霞んで見え、その手前には「妙義山」が。 吉井町の老人ホーム北の高台より牛伏山を(2003.04.26.水彩)
   右のコブのある山が朝日岳(多胡美人)
多胡の嶺 491m
群馬県、吉井町南部の山
た ご    ね           は    
多胡の嶺に 寄せ綱延へて 寄すれども あにくやしづし その顔良きに 
                 (万葉集 東歌 14−3411)

我が恋は まさかもかなし 草枕 多胡の入野の 奥も かなしも
 (万葉集 東歌 14−3403)


高角山
高角ネット、島根県の高角から転載させていただきました。
http://www003.upp.so-net.ne.jp/y-tsuno/tsuno_net/t_net_plc_shimane.html
 この上代の歌集に「高角山」の記述を見ることが出来ます。
「歌聖 柿本朝臣人麿」の石見相聞歌と呼ばれる作品群の中に、


石見乃也高角山之木際從我振袖乎妹見都良武香
(万葉集・巻2・132反歌 原文は万葉仮名)

石見(いはみ)のや高角山(たかつのやま)の 木(こ)の際(ま)よりわが振(ふ)る袖(そで)を 妹(いも)見(み)つらむか 

【意味】 石見國(島根県西部)の高角山の鬱蒼と茂る木々の切れ間から
私が(別れを惜しんで)振っている袖を、最愛の妻は見ているだろうか、
(いや、もう既に見えないほど遠くへ離れてしまった。)

とあるのが日本史上最古の「高角」に関する記述です。
 人麻呂は、国司として赴任先の石見国府(浜田市に所在)を後にして上京する際、 高角山の山道を辿りながら 妻・依羅娘子(よさみのおとめ)との別れを惜しんで上記の歌を詠んだといわれています。
 残念なことに、「高角山」の名称は今日残っていません。 通説によると、この山は現在島根県江津市のほぼ中央に位置する 「島の星山」 と呼ばれる標高470mの山とされています。 現在の名称は中腹にある廃寺「島星山冷昌寺」の寺伝によると、「貞観十六年(874年)九月八日星東天より降る」 という隕石飛来に因んだものだといいます。 山頂付近には人麻呂を祀った人丸神社があります。 現在、島根県江津市内の「高角」の名称は、 わずかに、嘉久志町の「江津市立高角小学校」に留まるのみです。
 一方、島根県益田市も人麻呂ゆかりの地として有名です。 一説(鴨島説)によると、高角浦(高津の浦)の鴨島 (1209年の万寿大地震の際水没した)は 流罪になった柿本佐留(猿の意。人麻呂は流罪の際、「ヒト」から「サル」に懲罰的に改名させられた。) 終焉の地ともされています。 1級河川高津川河口の平地に位置する高津は、 古くは「高角」とも書いたようで、 その名称は上記の人麻呂の歌と関係があるといいます。 市内には高津柿本神社(高津町。鴨島にあったものを大地震後移築)、 戸田柿本神社の2つの人麻呂を祀った神社があります。 現在、島根県益田市内の「高角」の名称は、 高津川に架かる 「高角橋」などに痕跡を残しています。

高円山(たかまどやま)
奈良奥山ドライブウェイ:万葉ファンなら
「春日奥山コース(一方通行)」 「高円山往復コース」から転載させていただきました。
http://www5.kcn.ne.jp/~shinwaka/manyoufan.htm
高円 たかまど の  尾花 おばな 吹き越

たかまど の  尾花 おばな 吹き越す秋風に
紐解 ひもと き 開 あ けな   直 ただ ならずとも

「万葉集:巻第二十 4448」


立山(たちやま)
会報「商工とやま」平成13年8・9月号 立山と富山(3)
立山の万葉歌碑 」から転載させていただきました。
http://www.ccis-toyama.or.jp/toyama/magazine/tateyama/tate3.html
越中国守であった大伴家持は天平19年(747)4月27日「立山の賦」と題して長歌短歌を詠み、これを「万葉集」に収めたが、これこそ立山が文献に記された最初のもの、立山を歌った最古の文学であった。(当時はタテヤマと発音せず、タチヤマと呼んだ)。その作製年どころか月日までこんなにも明確に記録されているということは、富士にも白山にもその他どの名山にも全くないことで、われら富山県人として欣快至極である。筆まめな大伴家持なればこそである。(山部赤人・高橋虫麿の「不尽(富士)山歌」は名作だが、作製の年は不明である)



龍田山(たつたやま)
万葉集: 龍田山(たつたやま)
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/area/kinki/nara/tatsutayama.html

は、現在の奈良県生駒郡三郷町(さんごうちょう)の龍田本宮(たつたほんぐう)の西、信貴山(しぎさん)の南にあたる山地とされています。龍田山(たつたやま)という名前は現在残っていません。

0083: 海の底沖つ白波龍田山いつか越えなむ妹があたり見む

0415: 家にあらば妹が手まかむ草枕旅に臥やせるこの旅人あはれ

0877: ひともねのうらぶれ居るに龍田山御馬近づかば忘らしなむか

0971: 白雲の龍田の山の露霜に.......(長歌)

1181: 朝霞止まずたなびく龍田山舟出せむ日は我れ恋ひむかも

1747: 白雲の龍田の山の瀧の上の.......(長歌)

1749: 白雲の龍田の山を夕暮れに.......(長歌)

2194: 雁がねの来鳴きしなへに韓衣龍田の山はもみちそめたり

2211: 妹が紐解くと結びて龍田山今こそもみちそめてありけれ

2214: 夕されば雁の越え行く龍田山しぐれに競ひ色づきにけり

2294: 秋されば雁飛び越ゆる龍田山立ちても居ても君をしぞ思ふ

3722: 大伴の御津の泊りに船泊てて龍田の山をいつか越え行かむ

3931: 君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも

4395: 龍田山見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに

筑波山(つくばね)
常陸の万葉歌碑 2 万葉集 筑波山」から転載させていただきました。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~tonegawa-manyou/man/tukuba1/hitati5.htm

筑波山に登る歌一首、并せて短歌

登筑波山歌一首并短歌

1757 草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば

尾花散る 師付(しつく)の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ

新治の 鳥羽の淡(あふ)海(み)も 秋風に 白波立ちぬ

筑波嶺の よけくを見れば 長き日(け)に 思ひ積み来し 憂へは止みぬ(巻9)

草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有哉跡 筑波嶺尓 登而見者

尾花落 師付之田井尓  鴈泣毛 寒来喧奴

新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴

筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積来之 憂者息沼

(草枕)旅の悲しみを慰めることもあろうかと、筑波山に登って見ると、
芒が散る師付の田に、雁も寒々と飛んで来て鳴いている
新治の鳥羽の湖も、秋風に白波が立っている。
筑波山の美しい景色を見ていると、長い間思い悩んできた憂えも止んだことである。

1758 筑波嶺の裾廻(すそみ)の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉(もみち)手(た)折(を)らな(巻9)

筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈

筑波山の麓の廻りの田で秋田を刈る、あの乙女にやろうと思う黄葉を手折ろう

香具山(かぐやま)*
万葉集: 香具山(かぐやま)
耳成山・畝傍山と並んで、大和三山の一つで、天(あめ)の香具山とも呼ばれます。橿原市と桜井市の境にあり、高さは148メートルです。




0002: 大和には群山あれどとりよろふ天の香具山.......(長歌)

0013: 香具山は畝傍を雄々しと耳成と相争ひき.......(長歌)

0014: 香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原

0028: 春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山

0052: やすみしし我ご大君高照らす日の皇子.......(長歌)

0119: かけまくもゆゆしきかも言はまくも.......(長歌)

0257: 天降りつく天の香具山霞立つ春に至れば.......(長歌)

0258: 人漕がずあらくもしるし潜きする鴛鴦とたかべと船の上に棲む

0259: いつの間も神さびけるか香具山の桙杉の本に苔生すまでに

0260: 天降りつく神の香具山うち靡く春さり来れば.......(長歌)

0334: 忘れ草我が紐に付く香具山の古りにし里を忘れむがため

0426: 草枕旅の宿りに誰が嬬か国忘れたる家待たまくに

1096: いにしへのことは知らぬを我れ見ても久しくなりぬ天の香具山

1812: ひさかたの天の香具山この夕霞たなびく春立つらしも

2449: 香具山に雲居たなびきおほほしく相見し子らを後恋ひむかも

名欲山
日本ユニシス関西支社のウォーク万葉 第34号」から転載させていただきました。
http://www.unisys.co.jp/KANSAI/manyo/34/main.html
夕暮れ慕情「朽網山」コース
筑紫娘子の相聞歌 概要の画面表示 印刷用のPDFファイル(330KB)
・後の直入地方(大分県)は大宰府と日向・大隈を、また肥後と豊後を結ぶ駅路にあたっており、行き交う人々の目に久住の高原は強く焼きつけられたようだ。万葉集の名欲山は直入山のことか。相聞歌に詠まれており、城原小学校の近くに万葉歌碑がある。久住役場前から長湯温泉への途中、都野山村広場に朽網山の万葉歌碑があり、展望が素晴らしい。

吉志美が岳
ウォーク万葉34
妹が手を取る「吉志美が岳」コース
肥前風土記の歌垣の世界 概要の画面表示 印刷用のPDFファイル(370KB)
・万葉集の吉志美が岳は佐賀平野西方の白石平野の西端にある杵島山のことで、歌垣で知られる。杵島山の麓を巡って、肥前国の歌垣の地を訪ねる。JR佐世保線北方駅を起点に若松神社、富吉神社、妻山神社などを経て、歌垣公園へ。ここに万葉歌碑、万葉植物園があり、ここからの眺めが素晴らしい。さらに水堂、陽興寺を回ってJR白石駅に至る。



新田山
ウォーク万葉34
上野国の東歌「新田山」コース
古代東国のロマン求めて 概要の画面表示 印刷用のPDFファイル(350KB)
・東歌に詠まれている新田山は、大和政権の東国の根拠地であった。現在の群馬県太田市の北にそびえる金山のこと。古くから開けた土地なので古墳が多く、東山道が通り、太田市は大光院の門前町や「太平記」ゆかりの地として知られる。金山には新田氏の金山城跡などのほか、東歌の碑が2基あり、ハイキングコースもある。東武伊勢崎線太田駅下車。


隠口こもりくの 泊瀬の山に照る月は みちかけしけり人の常無き 万葉集巻七 一二七〇



富士山*
富士山を詠んだ歌は11首ありますが、3巻・11巻・14巻に限定されています。
富士山は、宝永4年(1707)の噴火以来、活動を休止していますが、900年頃までは活動をしていたようです。竹取物語(かぐや姫)の最後にも、富士山から煙が昇っていることが書かれていますよね。



二上山(ふたかみやま)*

二上山(ふたかみやま)は、奈良県北葛城郡当麻町と大阪府南河内郡太子町の間にあります。雌岳(標高474メートル)と雄岳(標高540メートル)があります。雄岳(おだけ)の山頂には、大津皇子(おおつのみこ)のお墓があります。

二上山というのは、もう一つ、富山にあります。こちらのほうは、大伴家持(おおとものやかもち)の歌に詠まれています。

0165: うつそみの人にある我れや明日よりは二上山を弟背と我が見む

0166: 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど見すべき君が在りと言はなくに

1098: 紀道にこそ妹山ありといへ玉櫛笥二上山も妹こそありけれ

2185: 大坂を我が越え来れば二上に黄葉流るしぐれ降りつつ

2668: 二上に隠らふ月の惜しけども妹が手本を離るるこのころ

五條探検隊 10 万葉集で詠われた古代の真土峠」から転載させていただきました。
http://www.ne.jp/asahi/nara/gojyo/matu.htm
真土峠は奈良県五條市と和歌山県橋本市の県境で、万葉集でもよく詠われている地です。
真土山そのものは海抜100mほどの低山ですが、その山中に落合川の深い渓谷があり、紀ノ川(奈良県側は吉野川と呼ぶ)に流れ込んでいます。
そこでこの峠越えの国道24号線と旧道の伊勢街道は、落合川を小橋で渡る紀ノ川から離れた畑田町を通るルートになっています。今の国道はラクダのこぶのように2つの低山を切り通しで越す峠になっています。なお奈良県側の山は天女山とも呼ばれています。
しかし万葉の時代の古道は、より紀ノ川に近い場所にある「飛び越え石」で落合川を渡っていました。
万葉集には真土峠の景観を賞賛した歌もありますが、今の国道や旧道からはとても連想できません。
万葉の時代の古道の真土峠はもっと紀ノ川沿いで、真土山や天女山に登る紀ノ川と吉野川が一望に見渡せる展望のよいルートだったのではないかと考えられます。





耳成山(みみなしやま)

香具山・畝傍山と並んで、大和三山の一つです。橿原市の藤原宮の北にあり、高さは139メートルです。

0013: 香具山は畝傍を雄々しと耳成と相争ひき.......(長歌)

0014: 香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原

0052: やすみしし我ご大君高照らす日の皇子荒栲の.......(長歌)

3788: 耳成の池し恨めし我妹子が来つつ潜かば水は涸れなむ


高円山(たかまどやま)
奈良奥山ドライブウェイ:万葉ファンなら
「春日奥山コース(一方通行)」 「高円山往復コース」から転載させていただきました。
http://www5.kcn.ne.jp/~shinwaka/manyoufan.htm

時雨 しぐれ の雨  間 ま 無くし降れば三笠山
木末 こもれ あまねく  色づきにけり

(万葉集:巻第八 1533)


新田山(にひたやま)
素材表題 金山万葉歌碑」から転載させていただきました。
http://www.gakujoken.or.jp/dab/BUN0018.html

素材内容
群馬県の東端、利根川と渡良瀬川とにはさまれた平野部にぽっかりと
島のように浮かんだ八王子丘陵の東を「金山」と称している。
「金山」は古代には「にひた山」(新田山)と呼ばれ万葉集などの歌にも詠まれている。
この碑はその一編で、「にひた山 嶺には着かなな 吾によそり 間なる児らし あや愛しも」
(新田山が連なる山々からはなれて端にいるように、私とうわさされて、ひとり端にいる児が
何ともいえずかわいい。)と詠まれている。




山のスケッチブック、万葉集の山」から転載させていただきました。
http://www.h4.dion.ne.jp/~suzumasa/hokuriku25.htm

白山
定説ではない
 み雪降る 越の大山 行き過ぎて 
           いづれの日にか 我が里を見む     (万葉集 12−3153) 


雪の降る白山を通り過ぎて、いつになったら私の故郷を見られるだろうか。 遠しとふ 故奈の白嶺に 逢ほしだも
          逢はのへしだも 汝にこそ寄され     (万葉集 14−3478) 
 

遠いという白山で逢うときも逢わないときも、おまえとの噂を立てられるよ。


  たくぶすま
 栲衾 白山風の 寝なへども
         児ろがおそきの あろこそ良しも      (万葉集 14−3509)

保田興重郎氏は、この白山神社付近をその候補地とし、雄略天皇の歌で始まる「万葉集」の発祥の地として、神社境内に記念の碑を建立したものである。


九州の山 18


   鏡山   (領巾振山 ひれふりやま、284m、)
ひれふるみね
   領巾振嶺を詠める歌 一首 
        まつら         つま
  遠つびと 松浦佐用姫 夫恋に 
      ひれ
      領巾振りしより 負へる山の名

                (山上憶良 万葉集 5−871)   




  海原の 沖行く船を 帰れとか

      領巾振らしけむ 松浦佐用姫

                (大伴旅人 万葉集 5−874)    


二上山(越中)

  二上山(越中)  (富山県、273m、ふたがみやま、万葉の山)


                   二上山の賦一首並びに短歌二首 

 いみづがわ        めぐ      たまくしげ  ふたがみやま
 射水川 い行き巡れる 玉櫛筍 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の 
                     さ                 とうとき  やまから
 にほへる時に 出で立ちて 振り放け見れば 神からや そこば尊き 山柄や 

 見が欲しからむ 、、、、、、、、、

 、、、、、見る人毎にかけて忍ばめ
                              大伴家持 (万葉集 17−3985)



 しぶたに     ありそ
 渋谿の 崎の荒磯に 寄する波
           いや      いにしへ
           弥しくしくに 古思ほゆ
                              大伴家持 (万葉集 17−3986)


 玉櫛筍 二上山に 鳴く鳥の 

           声の恋しき 時は来にけり   
                              大伴家持 (万葉集 17−3987)


北陸、近畿、四国 の山  18                                                   

   竜王山 (引手の山)  ( 586m 奈良県、「山辺の道」の東の連山の最高峰、竜王山城址 )

柿本人麻呂が、愛妻の死を悲しんで詠んだ歌。

    フスマヂ    ヒキデ       
    衾道を 引手の山に 妹を置きて 
                      ヤマヂ          
                山道を行けば 生けりともなし
 
                             柿本人麻呂 (万葉集2−212)  



三笠山
近畿風雲抄、奈良 御蓋山(みかさやま)−奈良市白毫寺−」から転載させていただきました。
http://www.k4.dion.ne.jp/~kinki/nara/d_mikasayama.html
三笠山(282メートル)は今日の御蓋山である。若草山に連なる春日山(497メートル)の西に突き出た尖った山。春日山に埋もれ目立たない山であるが、白毫寺辺りから北の辺を望むと、円錐形の山容が現れる。白毫寺辺りには、まだ大和棟の民家を見出すこともでき、古都のよい雰囲気がのこるところである。
しぐれの雨 間なくし降れば 三笠山 木末(こぬれ)あまねく 色付きにけり <万葉集 大伴稲公> 
  大君の 三笠の山の もみち葉は 今日(けふ)のしぐれに 散りか過ぎなむ  < 万葉集 大伴家持> 

三毳山(みかもやま)
万葉の山 三毳山 小楢のす、ま麗し山へ」から転載させていただきました。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~n-baba/mikamoyama.html
三毳山(みかもやま)は関東平野の北端・栃木県佐野市郊外にこんもり盛り上がった丘陵である。標高わずか229メートル、山と呼ぶにはあまりにも低い。しかし、万葉の昔から人々に親しまれてきた山である。万葉集に詠まれた次の一首はロマンの響きを持って現代人を魅惑する。
    下毛野              しもつけの
    三毳の山の            みかものやまの
    小楢のす             こならのす
    ま麗し児ろは           まぐわしころは
     誰が笥か持たむ          だがけかもたむ
                        (よみひとしらず)
 
 歌意は「下野の国の三毳山に茂る小楢の木のように可愛らしい娘は、いったい誰の食器を持つ(お嫁さんになる意)のだろう。私のお嫁さんになるに決まっている」である。


三諸(みもろ)の山
明日香の神岳(雷岳)

三輪山(みわやま)
奈良県桜井市三輪の山です。万葉集では、三諸(みもろ)の山と詠まれることがあります。ただし、三諸(みもろ)の山と詠まれる歌で、三輪山ではなく次のような山を示していることがありますのでご注意ください。
明日香の神岳(雷岳)
生駒郡竜田の神奈備山
三輪山はそれ自体が神とされ、三輪山を奉る大神(おおみわ)神社は本殿がないことで有名です。

0017: 味酒三輪の山あをによし奈良の山の山の際にい隠るまで.......(長歌)

0018: 三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや

0019: 綜麻形の林のさきのさ野榛の衣に付くなす目につく吾が背

0156: 三諸の神の神杉夢にだに見むとすれども寝ねぬ夜ぞ多き

0157: 三輪山の山辺真麻木綿短か木綿かくのみからに長くと思ひき

1094: 我が衣色取り染めむ味酒三室の山は黄葉しにけり

1095: 三諸つく三輪山見れば隠口の泊瀬の桧原思ほゆるかも

1118: いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の桧原にかざし折りけむ

1119: 行く川の過ぎにし人の手折らねばうらぶれ立てり三輪の桧原は

1240: 玉櫛笥みもろと山を行きしかばおもしろくしていにしへ思ほゆ

1377: 木綿懸けて祭る三諸の神さびて斎むにはあらず人目多みこそ

1378: 木綿懸けて斎ふこの社越えぬべく思ほゆるかも恋の繁きに

1403: 御幣取り三輪の祝が斎ふ杉原薪伐りほとほとしくに手斧取らえぬ

1517: 味酒三輪のはふりの山照らす秋の黄葉の散らまく惜しも

1684: 春山は散り過ぎぬとも三輪山はいまだふふめり君待ちかてに

1770: みもろの神の帯ばせる泊瀬川水脈し絶えずは我れ忘れめや

2472: 見わたしの三室の山の巌菅ねもころ我れは片思ぞする

2512: 味酒のみもろの山に立つ月の見が欲し君が馬の音ぞする

3014: 三輪山の山下響み行く水の水脈し絶えずは後も我が妻

3222: みもろは人の守る山本辺は馬酔木花咲き末辺は椿花咲くうらぐはし山ぞ泣く子守る山

3223: かむとけの日香空の九月のしぐれの降れば雁がねもいまだ来鳴かぬ.......(長歌)

3224: ひとりのみ見れば恋しみ神なびの山の黄葉手折り来り君

3268: みもろの神奈備山ゆとの曇り雨は降り来ぬ天霧らひ風さへ吹きぬ.......(長歌)
由布山
<ロータリー万葉50首>  由布山の雪の歌」から転載させていただきました。
http://gloweb.chiikikagaku.co.jp/rotary/81211.html
 l2月の初めに、この南国で雪が降るのは珍しいことです。今年は特に急激に雪が訪れましたので、高齢者は文字どおり震えあがりました。
 しかし、日本人は古来、「雪月花」といって詩歌の世界の代表的な素材とされてきました。ノーベル文学賞をもらった川端康成が最も好きだった言葉が「雪月花の時、最も友を思ふ」というものでした。続「千羽鶴」の舞台にした久住飯田高原には、この文言の川端康成文学碑が建っています。そこで、今回ロ一タリー万葉では、雪の万葉歌を紹介します。雪が歌われたのは万葉集中150首あります。
 さて、この南国で雪を歌った万葉歌があるのです。しかも由布山の雪の歌です。


    思ひ出づる時はすべなみ豊国の

飛鳥資料館/飛鳥と万葉集
http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA2/MANYOU/asuka_manyou.html
香久山
大和三山
飛鳥
飛鳥川
磐余池
埴案池 真神原
香久山
雷丘
八釣山
南淵山
真神原
大原
桧隈(桧前)
真弓
佐田
細川・多武山
藤原宮
嶋宮
2010.1.31創案