日本百名山

89 伊吹山

見る、行く、登る

目次
1 概要
2 乗物から見る
3 近くに行く
4 登山(頂上に立つ)
5 頂上からの眺め


1 概要

伊吹山(いぶきやま、いぶきさん)は滋賀県と岐阜県にまたがり、東海道新幹線が至近を通るので、多くの人に車窓でなじみの山です。スキー場、高山植物、薬草、日本武尊の伝説などでも知られています。標高は1377m、頂上近くまでドライブウエーが走り、頂上からは、琵琶湖などがまじかに見えます。

標高差 1150m
距離 6.0km


山容、地図、所要時間、眺望例
伊吹山ー白山展望−
http://alps.raindrop.jp/Report/Suzuka/20050424Ibukiyama/Top.htm
から転載させていただきました。


近江長岡駅前から


近江長岡駅(838,845) ==== 伊吹山登山口(857,900) --0:25-- 一合目(925,935) --0:50-- 三合目分岐(1025) --0:15-- 五合目(1040,1055) --0:14-- 六合目(1109) --0:14-- 七合目(1120) --0:15-- 八合目(1135) --0:12-- 九合目(1147) --0:08-- 伊吹山山頂(1155,1325) --0:15-- 八合目(1340) --0:14-- 六合目(1354) --0:07-- 五合目(1401) --0:05-- 四合目(1406) --0:05-- 三合目分岐(1411) --0:22-- 一合目(1433) --0:25-- 伊吹山登山口(1458,1516)


三合目から見上げる


五合目あたりから麓の町と霊仙(正面奥のふたこぶ)



f84 霊仙山

霊仙山(りょうぜんさん、りょうぜんやま)は、滋賀県の犬上郡多賀町と米原市にまたがる鈴鹿山系の最北に位置する標高1,094mの山。
正式な読みは「りょうぜんさん」であるが、「りょうぜんやま」と読まれたり、「霊仙」と略称されることも多い。
近江国坂田郡(現・米原市)を根拠地とする地方豪族・息長氏の出身とも伝えられる平安時代前期の法相宗の僧であり、日本で唯一の三蔵法師である霊仙を、名祖(なおや)とする。
霊仙(りょうせん、759年?(天平宝字3年?) - 827年?(天長4年?))
興福寺に学び、804年(和の延暦23年、唐の貞元20年)には第18次遣唐使の一人として45歳で入唐した。同期に最澄・空海・橘逸勢らがいる。長安で学び810年(唐の元和5年)には醴泉寺(れいせんじ)にて、カシミールから来た般若三蔵が請来した「大乗本生心地観経」を翻訳する際の筆受[1]・訳語(おさ)を務めた。811年(唐の元和6年)、「三蔵法師」の号を与えられる。時の唐の皇帝・憲宗は仏教の熱心な保護者であり霊仙も寵愛を受けて大元帥法の秘法を受ける便宜を与えられるが、仏教の秘伝が国内から失われることを恐れた憲宗によって日本への帰国を禁じられた。憲宗が反仏教徒に暗殺されると、迫害を恐れて五台山に移る。
825年(唐の宝暦2年、和の天長2年)には淳和天皇から渤海の僧・貞素に託された黄金を受け取り、その返礼として仏舎利や経典を貞素に託して日本に届けさせた。日本側は貞素の労苦を労うとともに霊仙への追加の黄金の送付を依頼し、また日本に残された霊仙の弟妹に阿波国の稲千束を支給するよう計らった。その後、828年(唐の大和2年、和の天長5年)までの間に没したようで一説によれば霊境寺の浴室院で毒殺されたという。唐に渡ってから死ぬまで日本の地を踏むことはなかった。
ウィキペディアから転載

花の百名山に入っています

2 乗物から眺める

2.1 東海道新幹線の車窓から


5 頂上から見える山など

近く


南側に関ヶ原を隔てて大きく見えるのが、鈴鹿山脈最北の霊仙山です。

北側、伊吹山地

中距離

3000m級前後の高山としては、東側に岐阜、長野県境の北アルプスなどの、御嶽山、乗鞍岳、白山があります。
また、南側には養老山脈、鈴鹿山脈、紀伊半島の山並みが幾重にも重なって遠くへと続いています。
西には、琵琶湖が眼下に広がり、竹生島が浮かび、その向こうに比叡山などが見えます。

遠く

御岳、乗鞍、白山より、やや遠いのが槍ヶ岳を初めとする北アルプス、立山などです。
 
北側には、能郷白山(左1617m)と白山(右2702m)があります。 東側には乗鞍岳(左3026m)と御嶽山(右3063m)があります。

6 山岳信仰

伊富岐神社

2011.6.9 地図・時間・写真・霊仙
2010.11.21作成開始